「認知症にならないための3つの約束」  介護の世界に踏み込んでみた。

日々「認知症にならないための3つの約束」を実践しながら実際に自分が介護を受ける立場になったらどういう気持ちになるのかを実践しに施設に働きに行ってきた。

これを書く中でもしかしたら人権無視になる言葉や雑言などが出てくるかもしれないことを先に伝えておきたいと思います。決して悪意があってのことではありません。自分なりにこの経験の中でつぶれていく自分を目のあたりにして一時的に迷走した時期があり鬱になりかけたような気がした時もありました。結果的には自分の中での克服する力をたまたま持ち合わせていたのかはわかりませんがなんとか乗り越えました。

そういうことから人権を無視するような文も出てくることをお許しください。

今回は介護職に興味を持って実際に施設に飛び込み臨時に働かせてもらった短い期間を自分の感じたままを書きます。

細かい説明は少し飛ばしてしまおうと思っています。

介護の世界は実際はどういうことをしているのかということが以前から気にはなっていた。

昨今、介護施設の不祥事は新聞やテレビで大きく取り上げてられていることは周知の事実だ。

介護する立場の人たちの気持ちを自分にかぶせてみることによりも自分が実際に介護をしてみることのほうが手っ取り早いと思い介護施設に飛び込んできた時の話を少し書いてみようと思った。

介護というのは普通に考えると介護される人のことが先に考えられるのだが、双方のことを立場で分けて考えていくとわかりやすい感じがする。

介護する側、される側(施設では利用者さんと呼ぶ)とではまるっきり逆の立場になるわけだが、

介護する側には義務が多く、される側には権利が多くなる。

どういうことかというと介護する側にはあまり権利の主張は認められにくいという印象が僕には残った。

働く人たちに対する自由度の低さがとても気になった。

男性は特に髪の毛の長さや髭の問題などいろいろと制約が多い。

女性に関しては一番気になるのはきっとおしゃれから離れなければならないということだろう。

男女問わずに爪が伸びているというのは双方にダメージを受けることが想定される。

ひっかいてしまったりすることがあるから当然であろう。

身だしなみは当然、必要ではあるが個性に対する尊重は無視されているといっても過言ではないだろう。

一律に同じ格好で同じスタイルをさせることが一番無難なのだろう。

例えば、関係ないことだとは思うがマニュアルというもので個性を打ち消して業務にあたる。

お辞儀にしても、女性のスタンディングスタイルにしても誰が決めたのかわからないがみんな同じスタイル。

マニュアルの中に自分を置くことでいっゆの責任逃れなのではないかと思うことが結構多い感じだ。

マニュアルというものは相対するものに対してすべて同じであるわけがない、あってはならないと思う。

マニュアルは各々の感覚の中で作るべきではないのだろうか。

もちろん、社会で生きていく上でのマナーや礼儀は通常の生き方をしていれば身についているはずだ。

マナーや礼儀は自分のものではなく相手に対するものだ。

ちょっとした想像力を働かせれば大人である以上、気付くものだと思っている。

絶対に必要なものは清潔で清廉であろう。

なかなか難しいとは思うが、、、

介護される方たちは高齢であるし比較的に菌に対する抵抗力は落ちている人が多いので清潔は絶対必要だ。

障害を持つ方への尊厳を保持し、自立への道のりに沿ってあげることが大事だということ。

介護職というものは人権という意識を持つこともとても大事な気がする。

 

僕の短期介護施設での感想

初日は、何も分からず不安でいっぱいの一日。

施設長からの僕自身の紹介から始まる。

僕の短期就労で行った先は小規模多機能型居宅介護というタイプの施設だった。

小規模多機能型居宅介護というのは通いを中心に利用者の選択に応じて訪問介護、泊りの介護サービスを組み合わせた多機能なサービスを提供する場所でした。

小規模ということで定員は29人以下に決められています。

毎日、登録されている方が全員が来所してくるわけではないので15人から18人くらいが毎朝8:00くらいから施設にやってくる。

その時に元気な人もいれば何となく元気でない人、ぶっちょうずらの人、朝から歌を歌ってくる人など様々だ。

一方、施設側は4人体制で彼らの誘導や見守りながら一人一人の動向を探っていく。

朝、来所した時から「帰りたいから帰る!」「気分が悪いから帰る!」などと喚きを交えた会話からその人に対処する会話を探していくことから始まる。

なんとか落ち着かせて健康チェック、バイタルチェックとも言っている。

血圧、脈拍、体温を測り記録していく。

ぱっと18人くらいの人数は多いかとは最初の頃は思っていたがこれを大体4人体制で行っていくことは慣れればたいしたことではなくなった。

もちろん最初から慣れていたわけではなくただ、3~4日もすれば利用者さんの顔も覚え、相手もこちらを記憶してくれる。

お互いの笑顔が会話を促してくれる。

ただ初日はこうもいかないのだ。

当然、女性もいる。

女性の体に触れることも多々あるわけだがどうしてもそこで躊躇してしまう。

男性であれば、この理由は理解してもらえるとは思うが、いくら高齢とはいえ女性は女性であることに変わりはない。

そこをクリアすることが僕はとても大変だった。

当然、入浴もあるし、排泄の介助もある。

そういう時に思い出したのは自分の母親のことだった。

母親の昔的な言葉で言えば「下の世話」である。

いくら母親といえども、自分がそこから生まれ出てきたとはいえなかなか気恥ずかしくて同じように躊躇していた記憶がよみがえる。

「同性介護だったらいいのにな、、、」

という思いだ。

こんなことを書くとベテラン介護の方たちに

「何を甘ったれたこと言ってるの!」

と叱られそうだ。

すべての方がおむつの交換介護を必要としているわけではないのだが、リハパン、オムツ交換 パッド交換などいろいろあります。

おしっこならばパッド交換だけだけれどたまに周りに漏れることもある。

そういう場合はオムツも同時に交換する必要が出てくる。

オムツの場合は殆どベッド上での交換ということになる。

寝返りが打てる人、自分の力で双方向に向きを変えられる人は身体的にまだまだ、元気なのでこちらも楽だ。

こちらも言うとおりに反応してくれるのですごく助かった。

終わったあと「ありがとう、、、!」といってくれる言葉に照れ臭い。

でもうれしい一言だ。

健常者でも無精の人は無精だ。

男性に限らない、女性の方にもずいぶんといらっしゃるものだと実感した。

僕の経験から

「オムツ見ましょうか?」

「汚れていないからいい!」

「でもちょっと、そろそろご飯お前に綺麗にしておきましょう」

「いらない!!!」

こんな調子でやり取りを繰り返していくのだが匂いなどで気付くのだが

がんとして

「汚れちない、、、!!!!」

それでも食事の前なので変えざるを得ない。

今のオムツは肌触りがすごくいらしいので気が付かない人も多いとは聞くがそれでも気持ちは悪いだろうと思う。

なれないオムツ交換は大変だ。

僕は噛みつかれ眼鏡を飛ばされて引っ掻かれた事があった。

その時の心情は別段、怒りや憎悪は湧かなかったのはなぜだろう。

むしろ、戸惑う自分に何故か悔しさがあったような気がする。

このご婦人にしても、「どこの馬の骨化わからん野郎に私の大事な部分を、、冗談じゃないよ、、!!」

ということだったのかなあ、と思う。

「殺せ、、!!すけべ~、、、殺せ、、、!!」という言葉の繰り返しだった。

この時は自分ながら悔しさと悲しさでそっと涙した。(笑っちゃいますね、、いい大人が、いい年して、、、)

それでも懲りずに何回も挑戦した。

何回も同じことの繰り返しを挑戦した。

何回も何回も、、、、

そして、そのご婦人が「オムツ代えてくれるの、、?ありがとね、、、!」という言葉を聞いたとき、なぜか涙が出た。

嬉しさと、克服した喜びかな、はたから聞くと大げさに感じるけれど本当にそう思った。

やっと意思の疎通が少しだけで来たのだろうか、それともその時、たまたま気分が良かっただけなのでは、、

きっとこれが介護職という極みの喜びの一つかと思う。

人というものいや、生き物すべて愛なのだろう。

愛は尽くすもの、、なんだか恋愛ドラマのような感じだ。

日本では「愛してる」という言葉はちょっと違う意味にとられてしまうけど生きていく基本は愛だろう。

愛情をもって接すれば必ずや報われる。

「愛は勝つ」ってどこかで、、誰かが歌ってた。

僕の初めての経験にこの施設(市川市曽谷)はとても気持ちよく応じてくれた。

先輩の方たちの何も知らない僕に介護の「か」の字を教えてくれた。

大きな施設もあるだろうとは思うが、大きければいいということは何もない。

介護する人間のキャパシティを超えてまでやる必要がどこにあるのだろうか?

ビジネス優先、利益優先で介護は出来ない、いや、やってほしくないと素人ながら思う次第だ。

介護する人が絶対的に足らない中で器が大きくなってあえいでいるのが目に見える。

3割から4割くらい足らないのが現状だ。

ならば、もっと町ぐるみでの何か方法はない物だろうかと考える。

海外ではどうなのか?

日本よりかなり前に高齢化時代を迎えているイギリスや、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、そしてアメリカなど検証してみるつもりだ。

「ありがとう!」って素晴らしい一言だなと改めて実感した。

 

介護される側の方達にはいろいろなタイプの障害を持った方々が一緒に生活をしている。

施設内では認知症を持った方達、身体に障害を持った方達などが一緒に生活を共にしている環境だ。

施設といってもいろいろなタイプがあり

 

  • 認知症対応型共同生活介護(グループホーム)

 

 

クリックして参考資料で読んでいただけるとさいわいです。

ただ、介護の施設といってもこれだけの種類がある。

ただ単に何が違うの? どこが違うの? と疑問に思うばかりで普通に考えてもよくわからない。

僕自身も、初任者研修を受けに行って教科書の中に書かれている事をただ単に丸暗記をしただけで本当の意味が解っていないのも事実だ。

今回、この件を書き始め、自分も復習の意味も含めている。

介護される本人にはそれほどの意識は持っている必要はないのだろうと思うが、認知があっても機能がすべて使えないというわけではないので意思決定をできる方もいる。

介護職というものも一口には言えるほど単純ではないと感じた。

まだこのほかにも、

発達障害や知的障害者を支援するための行動援護や同行援護というものも含まれてくる。

先天的なものから後天的なものまで含めるといろいろな介護支援が必要になってくる。

とにかくいま、一番の問題点は急速に進んでいる高齢化社会にどう対応していくかということが一番だろうと思う。

あまり遠くない将来にはAiが実用化されるだろうし、外国からの介護職に就く人ももっと増えるだろう。

それでも、近い将来などというよりも今の現実をどう乗り越えていくのかが大きな課題だろうと思う。

施設に入りたくても空きがない、待ってもいても半年から一年、いや2~3年待たなければ入れないというところもたくさんある。

介護を必要とする人は沢山、存在する。

今、私の住むマンションでもやはり高齢化が進み独居老人の数も増えている。

ただ比較的元気な老人が多いので今のところは安心はしているが。

日本全体で介護所についている人は何人くらいいるのだろうか?

実際に就労されている人数は正確なものは出ていないが介護に対する必要人数に対して60%から65%ぐらいではやはり足らなすぎるのだろう。

昨年、介護スクールに通っているとき、毎日30人くらいが教室に通ってきている。

教室の数だけでも5~6室あるわけだからい一回に150人くらいは少なくても世に出ているはずだ。

全国で介護スクールは相当の数があるはずだから修了性もたくさんあると思う。

専門校や大学の福祉学部なども含めたら相当多いはずだ。

だのに「こんなにたくさんの人が卒業なり修了したりしていくのに何で足らないんだ?」

と思った。

修了、卒業したからといってその仕事に就くとは限らないということもあるが。

初任者研修だけでも、未経験でも介護の世界で働ける比較的、敷居が低い世界だ。

ただ最低限の自分なりのマナーや知識があればできるはず。

あくまでの人という命あるものに対する仕事だから自分なりのマナーは通用しないこともあるが、一つのサービス業と考えれば難もないのではないか。

これはあくまでも介護の施設で働く場合のことだけれど。

未経験者はこれはこれで次のステップに行くまでの見習いとでもいおうかとても大事な意味合いを持っていると思っている。

介護につきたいという人はみなさん「人の役に立ちたいから。」という慈愛に満ちた言葉で始まる。

すごく良いことだと思う、僕自身もそうであるから。

介護における基本的な事

介護における基本的な考えを自分なりに解釈して見ると非常に簡単ではあるようだ。

人に優しくという当たり前の言葉が出てくる。

しかし本質はちょっと違う。

人権・尊厳の保持

  • 日本国憲法13条と25条に出てくような個人としての尊厳の確保や人権意識、人権擁護などを明記している。

 

自立支援

本来の支援目的はその人の日常生活が普通に行えるようになるまでの期間を支えてあげることだと僕自身は思っていたのだが、決してそれだけでは済まない問題が多い。

なぜならば老いえていくという過程がそこにはあるために回復して元のように元気にということがなかなか難しいということも分かった。

歳を経るということは終末に近づくということであってけっして若返るということではないのだ。

僕自身の想像力の足らなさから「元気になって歩けるようになったらそれでいいじゃないか」とい単一的なイメージを勝手に作り上げているだけだった。

短期でリハビリをメインに入居できる介護施設もあるようだが老健施設などがそれにあたる。

が、一般にある小規模多機能型ホームなどは専門的ではないが一応リハビリ的な事はやっている。

 

  • 判断能力が不十分であるために、日常生活を営むのに必要な情報を得ることが出来なかったり、理解する能力に足らなかったり、意思表示を適切に行えなかったりする人たちへの支援を行うことである。
  • 入浴,排泄、食事などが存分に自分の意志でできない場合の支援
  • QOLADLは向上していけるのか?
  • ノーマライゼーションの精神は保てるのか?

 

いくら考えてもこの国の将来におけるシニア世代の先行き感は決して明るいものではないはずだ。

ならば今のうちに手を打たなければという思いでいっぱいだ。

もう遅いかもしれない、でも方法は何かあると思う。

人を大事に考える国であってほしい、、

人を大事にする人であってほしい、、、

生き物を大事にする人であってほしい、、

生き物を大事にする国であってほしい、、

と思います。

(挿入画像はなかなか難しいので今回は載せませんでした。)

認知症にならないために、、今からでも遅くない
食事、睡眠、運動を、、、

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ABOUTこの記事をかいた人

posiposilife

outdoor好きのバイク乗りです。行動することが好きです。 じっとしていられない悪い性格でおっちょこちょいなところもしばしば。 キャンプ、釣り(Fly Fishingがとくに好き) どうしても「なんでだろう?」が頭の中でよぎると調べたり体験したりと忙しい毎日を送っています。 勉強はとっても大好き! 本郷で写真のスタジオを20年やっています。 最近始めたブログから役立つことや興味深かったこと、写真の事などを書いていきたいと思っています。